2017-04-12 第193回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第4号
○伊波洋一君 ドイツにおいては、教育の場でいわゆる戦争中からの近代教育の時間が極めて多いというふうに聞いています。そういうようないわゆる関わりも、このような国内での政治教育の観点でいうと財団が関わることもあるんでしょうか。
○伊波洋一君 ドイツにおいては、教育の場でいわゆる戦争中からの近代教育の時間が極めて多いというふうに聞いています。そういうようないわゆる関わりも、このような国内での政治教育の観点でいうと財団が関わることもあるんでしょうか。
それでは次に、今日ちょっと文部科学大臣は呼んでいなかったみたいなんですけど、高大接続の絡みについて御質問をしたいと思うんですが、これからの時代に我が国で学ぶ子供たちは、明治以来の近代教育が支えてきた社会と質的に異なる社会で生活し、仕事をしていくことになるんだと、その先行き不透明な時代を生きていくために、様々な人々と協力しながら主体性を持って人生を切り開くためにも、知識の量だけでなく、混沌とした状況の
○関政府当局者 我が国の教育制度、近代教育制度につきましては、明治の学制発布以来、大きな改革も戦後ありましたけれども、ずっとその発展を遂げてきているというふうに認識をしております。
臨時教育審議会におきましても、第四次答申の中で、「我が国近代教育が数多くの困難な事情を克服し、とくに教育を担当する当事者が教育の水準を維持・発展させてきた努力は十分評価しなければならないが、同時に以上のような教育の歴史的変遷のなかで時代や社会の変化への対応が十分できなかったことなどにより、今日、教育上の諸問題が生じ、今次の教育改革へと連なることとなったことを認識しておく必要がある。」
このコンドルセの意見というのは、実は、近代教育の思想の中でも、非常に大事な民主主義的な教育の思想家としてみんな評価しているものなんです、フランス革命期の、実はジャコバンに殺される人ですけれども。 あるいはドイツのフンボルト。彼は、「国家活動の限界規制に関する考察」の中で、公権力からの教育の自立性を主張しています。 あるいはフランスの法哲学者デュギ。彼は、国家は学説は持たないと。
どうも近代工業社会が生みました、最初に一般教育があって後に専門教育がある、これは近代教育の特徴なんですね。昔の教育は先に専門教育、農民の子はまず親と一緒に農場へ出て、それから寺子屋へ通った。今は逆になっておりますが、こういう近代工業社会の人生の序列という美意識を変えるようなひとつ運動があっていいんじゃないか。
家庭の中で封じ込められてきたり、しつけの中で、あるいは近代教育の中で封じ込められてきた。
と申しますのは、やはり我々、善かれあしかれ、明治以降の近代教育の中で、宗教というものが、これは後れたとは言いませんけれども、個人というものの中の問題であって、社会全体を動かす問題ではないというふうな近代西欧の価値観というものを知らず知らずのうちに刷り込まれている。
むしろ近代学校教育が極めて特殊であって、この特殊な近代教育が成り立つ条件が最近怪しくなってきた、そう考えなければいけません。そのような考え方は七〇年代の社会科学において、特に社会学や人文科学の一部においては常識化してきております。 あるいは家庭がおかしいという言い方もあります。
その上に、先ほどおっしゃられましたように、明治五年の学制発布による近代教育制度の創設を出発点として、さらにまた第二次世界大戦後の新しい教育制度の導入を経て今日に至っておりますが、この間、それぞれの時代の要請に応じてさまざまな改革を進めてきたところであります。
○松浪分科員 私たちは近代教育を受け、そしておおむね我々の常識というもの、国際感覚というものは先進国のそれと同一である、私はそのように認識しておりますが、我々の発想の物差しを、イスラム諸国、とりわけイスラム原理主義でもって国を治めようとする人たちに当てはめるということは我々の予想を裏切ることになるかもしれませんので、外務省に言っておきたいことは、あらゆるケースで対応できるように柔軟な形で身構えていただきたいということであります
平成四年に文部省は十月段階で学制発布百二十年という大きな節目を迎えまして、日本の近代教育についてこれを検証して、これから新たなスタートを切るという式典も催されたわけでございますけれども、この百二十年の歩みと、それから戦後教育と言われるものから間もなく五十年を迎えるというこの九〇年代、激動する社会の中にありまして、日本の教育制度については一方においてサクセスストーリーであったという高い評価もある一面で
しかし、私は日本の近代教育史というものをつまびらかには知りませんけれども、まさに学歴社会を国がつくり、特に文部省行政がつくり出して、そしてその学歴社会をもって国の近代化を図り、その産業構造を能率的に取り仕切っていくために国が率先してつくったのが学歴社会じゃないんでしょうか。その辺、局長の御答弁をお願いいたします。
まさに日本の近代教育の歴史の中で高学歴社会というものを目指してきたわけでして、これは何も国民が目指したのではなくて国の政策もそうであっただろうと思うわけですが、高学歴社会が出産率を低めているというふうにはお考えにならないでしょうか。
私は、日本の近代教育史の中で、まさに文教行政が生み出したものが学歴社会だと考えるのですが、局長の意見、いかがでしょうか。
近代教育の歩みを概観し、学校教育のあり方を提起する。」こう載っておりまして、一つが「わが国教育の歩み」でずっと歴史が書いてあって、二番目に「教育改革に関する私の提言」、こうなっております。
○政府委員(川村恒明君) 今、戦後四十年のお話をいただきましたけれども、私どもの立場から見れば、教育の歴史というのは、これで百年以上、少なくとも明治以降の近代教育の歴史を頼みるともう百数十年たっているわけでございます。この間に、この前大臣からお話がございましたように、教育の歴史というのは、絶えざる改善、改革の歴史でございまして、その積み重ねである。
そして、随分ペンの達者な方がこの文章をお書きになったんだと思うのでありまして、この生涯学習への移行ということを自画自賛するに当たって、「我が国近代教育史上画期的な教育についての発想の転換をもたらそうとするものである。」、いいですか、近代教育史上画期的な教育についての発想の転換をやるのが生涯学習への移行ということなんだそうでありますがね。
それで、このたびの「教育改革の意義」といたしましては、明治以降の我が国の近代教育を全面的に見直しまして、最前述べたように、その成果も大きなものがございますので、その成果は継承発展させるとともに、その欠点、短所、限界というようなものを克服することが緊急な課題であるといたしておるのであります。
それからまた、この結論としては、「明治以降の我が国近代教育ならびに戦後教育の功罪をバランスのとれた視点で全面的に見直」そう、こういうことになっているわけですね。これが臨教審のお立場なんでしょうけれども、何かちょっとあいまいといいますか、えたいの知れぬという感じがせざるを得ません。
そういうような形で日本の近代教育というのはつくられてきたのではないか。それは確かに、追いつき追い越すというような時代にはそういうやり方で大きな効果を上げたということはもう否定できないことであって、日本の近代化の成熟というのはそういったものによることは確かである。
かつて近代教育である公教育というものは、一つには産業社会とともに出発した。産業社会、その中では一定の教育を受けなければ一定の職業につけない。一定の職業につけなければ生存にかかわる。だから、生存権的基本権として公教育が始まり、同時に、そのことは過酷なる労働から子供たちを解放した。だのに、今子供たちがその学校から解放されたいと思っているのじゃないのか、そういう感じを持つのであります。
戦前の我が国の近代教育制度というものは、まさしく明治政府が世界に目を向けて、そして長い鎖国の中で世界の先進諸国は大変文明が進んでおる、何とかこれらの先進諸国を追い抜いていかなければならぬ、追い起さなければならぬ、そういうことで明治政府は日本の教育を大きく日本じゅうに展開いたしました。